台灣日本人會刊三月號刊登中文版本:紅毛港保安堂社務所社務所翻譯

高雄市鳳山区に、日本海軍の軍人さんと軍艦をお祀りする廟がある。「地球の歩き方」でも紹介されている ので、ご存じの方も多いと思う。記者自身も、高雄に来たばかりのころ(2017年)、一度訪れたことがある。そ の時はまだ、ご神体の軍人の海府大元帥が誰なのか、また、軍艦がどの艦なのかといったことは分かって いなかった。今回、この日本とゆかりの深い廟を、日本人会のメンバーと3人で訪問し、取材した。 この廟の由来は、次の通りである。戦後直後の1946年、高雄県紅毛港(現小港区内)の漁民が高雄沖で 漁をしている最中に頭蓋骨を引き上げた。漁民はその頭蓋骨を持ち帰り、茅葺の祠に安置し、「海府」として お祀りしたのが始まりとされる。その後、大漁が続いたため、霊験あらたかなご神体として信仰されるように なった。 1967年頃、高雄港の第二港湾開発で、紅毛港の土地の一部が徴用されたが、その工事には、日本人技 師も参加していた。その技師の夢枕に、大日本帝国海軍の軍服姿の軍人が立ち現われ、「セメント500袋を 用意し、廟を建立してほしい」と告げた。そこで、その日本人技師は、近くにあった「海府」を祀る祠に500袋 のセメントを寄付し、保安堂が建立された。同じころ、日本語を解せない台湾人漁民に「海府」が憑依し、日 本語で「自分は第二次世界大戦末期にバシー海峡で撃沈された第38号艦の艦長である。部下とともに弔っ てほしい」と語った。そこで、ご神体が日本海軍の第38号艦に乗っていた軍人であることが分かり、ご神体の 「海府大元帥」と、日本軍艦の模型(1991年製作)が祀られるようになった。 その後、紅毛港が港湾開発により鳳山区に移転され、それに伴い、紅毛港保安堂も鳳山区の現在地に移 転し、2013年にご神体も現在の保安堂に安置された。日本人を祀った廟ということで、多くの日本人が参拝 に訪れるようになり、日台交流の場ともなっている。 現在の紅毛港保安堂の主任委員(責任者)である張吉雄さんは、2017年に主任委員に就任。その後、第 38号艦の英霊たちの、日本帰還の実現に尽力されている。2018年には、張さんが中心となり、海上をさまよ う英霊を迎え入れる「海上招魂法会」を盛大に執り行った。その準備の過程で、関係者がインターネット経由 で日本の防衛省図書館より関連情報、すなわち戦時日誌を入手し、第38号軍艦が、「蓬38号哨戒艇」である こと、ご神体である艦長が、高田又男氏であること、1944年11月25日に、台湾南方のバシー海峡で米潜水 艦により撃沈され、艦長以下145名の乗組員全員が戦死したことなどが判明した。現在では、全乗組員の氏 名が判明しており、全員がお祀りされ、日本への帰還を待っている。 廟に向かって右手に、145個の提灯が設置されており、それぞれに、乗組員一人ひとりの氏名が記されて いる。また、廟の中には、高田又男艦長の大きな写真が飾られていた。いずれも、2017年に記者が初めて 訪れた時には無かったものであり、この数年での大きな進展があったことが分かった。 艦長の高田又男氏については、熊本県出身で、そのご長男が、高齢ながら熊本でご健在であることも分 かった。張さんは、ぜひご長男を紅毛港保安堂にご招待したいと考えており、ご長男も、ぜひ動けるうちに、 恩返しに訪台したいと考えているが、コロナもあり、すぐの訪台は難しそうだ。とにかく、早くコロナが収束し、 日台間の自由な往来が復活することを祈るばかりである。 張さんは、これからも、多くの日本人が紅毛港保安堂を訪れ、ここが、日台友好の交流の場になることを強 く願っておられる。高雄在住の日本人の方々にも、ぜひお越しいただきたいとのこと。紅毛港保安堂には、 高雄科技大学日本語科修士で、日本語が話せる社務所代表役の沖田さん(陳凱鈞さん)もおられ、廟内の案内を日本語でして下さるので、ぜひ読者の皆さんも、一度は紅毛港保安堂に参拝に訪れてみてほしい。 日本人と日本軍艦をお祀りする廟 “紅毛港保安堂” 日本の軍艦をお祀りする 張さん(右)、沖田さん(左)と (高雄プレス記者)